治療家が見たインド〜霊性向上のために

 平成17年3月2日〜4月5日までの約1ヶ月間、またまたインドへ行ってきました。名目は修行ですが、ほとんど休息が目的でした。記憶が薄れる前に(最近早いんです、忘れるのが)3年ぶり4回目のインド旅の雑感と、それまでの旅をとおして感じたインドにおける霊性の向上、初期段階における霊性の萌芽などを記してみたいと思います。霊性を意識した治療家が見たインドです。
 またこれからインドデビューを考えている方の参考になるかと思います。でも普通の旅行記とは一味違いますけどね。

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1、ヒンドゥー教の神様のお出迎え 2、20ルピアよこせ 3、めちゃくちゃな交通事情

4、愛すべき牛ちゃん

5、チョー厚かましいインド人 6、お乞食様
           
7、はまる?嫌う?あなたはどっち? 8、天国と地獄、あなたはどっち? 9、霊性の向上 10、聖地の霊性 11、幸せって?

1、ヒンドゥー教の神様のお出迎え

 3年ぶりにインドへ行きました。ニューデリーで飛行機から降りると、あの独特のにおいが否応無く鼻腔から侵入します。あぁまたインドへ来てしまったのね。これから始まる厳しい(楽しい)修行に気を引き締める自分でした。
shibashin
 夜が明けるまで空港内のベンチで仮眠を取っていると、早速ヒンドゥー教の神様が出迎えてくれます。しかしそれは異教の者に対する手荒い歓迎でした。“何しに来た、挨拶は?”と因縁つけてきました。ヤクザかお前は。荒ぶる神様は非常にうるさい。あまり霊性が高くないので、さらりと受け流そうと謝罪の意識を送りました。

 はいはい解りました。挨拶が遅れてすんません。1ヶ月間ヨロシクね、仲良くしましょうよ。とお願いしてももう遅かったようで、攻撃の手は一向に治まらず、しばらくは我慢を強いられました。不意を突かれたとは言えかわせないとは、まだまだ修行が足りないようです。

 皆さんも入国の際は一言挨拶をしたほうが宜しいようですよ。

2、20ルピアよこせ

 

リキシャーワーラー

 空港からシティーバスに乗り、途中からサイクルリキシャーに乗ってニューデリー市内のメインバザールへ。乗る前に5ルピア(ルピア或いはルピーはインドの通貨単位)と言ったリキシャーワーラー(運ちゃんのこと)が、目的地について降りると20ルピアよこせと言う。「さっき5ルピア言うたやんか」と言っても「ノッノッノットゥエンティールピア」と譲らない。「ぼけぇー!んなもの払えるかぁ!なめたらあかんでぇー!」となぜか関西弁で叫び、5ルピアだけ渡し、無視して去ります。インドではこのようなことは日常茶飯のことです。もちろん全てがそうではありませんが、大都市や観光地ではよく遭遇します。


 物を買うときもそうです。お土産などの値段を聞くと、まず相場の5倍〜20倍は吹っ掛けてきます。日本人は素直に払う良いカモなので、西欧人に言うよりも高めに言ってきますが、言い値で買ってはいけません。値切って値切って値切りまくりましょう。この値段交渉が何を買うにしても付いて回ります。りんご一個、バナナ一本からそうです。相手は華僑も慄くインド商人ですから気を抜いてはなりませんぞ。この激しいやり取りが旅の第一歩です。実にエネルギーが要ります、疲れます、頭に来ることもありますが、次第に楽しくなってきたら旅人初級はクリアーです。頑張りましょう。
 

3、めちゃくちゃな交通事情

 インドの交通事情はめちゃくちゃです。狭い道路に車もオートバイもオートリキシャー(ミゼットのような三輪車)もサイクルリキシャーも自転車も人も牛ちゃんも犬もゴチャッ!といます。日本人から見るとまったく無秩序状態です。ここには譲り合いの精神は存在しません。人のことなんて考えていたら生きていけましぇ〜ん。どけどけーとクラクションの嵐です。ビービー、パァーパァー、ブーブーやかましくてたまりません。とにかく我先に1センチでも1ミリでも他人より前へ出ようとします。まるでレースのよう。車間距離1メートルの激しいバトルが街中で繰り広げられています。GT500並の戦いなのです。

 前が渋滞で詰まっていようと、どんどん突っ込んでいきます。手前で待って対向車をやり過ごしてからなんて論理は通用しません。先に突っ込んだほうが勝ちです。力と度胸が勝負です。自己チュウのカタマリです。あきれてものも言えません。当然大渋滞です。はぁ〜。

 

デリー市内の渋滞

 脇の細い道から大通りに出るときも決して一時停止などしません。クラクションを鳴らしながら何気な〜く入っちゃうのです。それで入られたほうも器用にぎりぎりのところで避けたりするので、自分は一度も事故を見かけたことはありません。でも車のボディーはぼこぼこで、サイドミラーがまともにある車は滅多にありません。各ランプ,ウインカーが点くのも無し。真っ暗な夜でもヘッドライトは点けません。人も牛ちゃんもすんでのところでかわすので事故は起きないのです。これもヒンドゥー教の神様のお蔭?かも。そう言えばバスなどのフロントガラスには必ず神様が祭られています。信仰心は厚いインド人なのです。

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4、愛すべき牛ちゃん

 インドの首都デリーの街中でも牛ちゃんがのんびり闊歩しています。飼い主のいる“愛牛”もいますが、そうではない“野良牛”もいます。時には道路の真ん中でお昼寝する奴もいるし、何を考えているのかその場に立ち尽くして微動だにしない奴もいます。どんなに邪魔でも誰も文句を言いません。“牛様には勝てねぇー”と車が避けて通ります。とにかくそのスローなペースには関心します。見てて心が和みます。人間てなんであんなにせかせかしてるの?とでも言いたげです。ちょっとそこのあなた、あなたですよ、なに後ろを見てるの!そんなに急がずに少しは見習ったらいかが?

 

牛ちゃん

 牛ちゃんの首や喉のところを撫ぜると、ぼんやりまったりと遠くを見つめて“気持ち良か〜”と恍惚の表情を浮かべます。止めると「もっとしてよー!」とおねだりします。意地悪して離れると「待ってよー!」とどこまでも付いてきます。う〜むウイ奴よのぉ〜。自分がインドへ行く楽しみの一つに、この“牛ちゃんいじり”があります。厳しい?修行の最中にひと時の心の安らぎをもたらします。今回は日本から専用のブラシも持参しました。我ながらこの“牛たわけ”にはあきれます。皆さんもインドへ行った際は、ぜひとも牛ちゃんの喉を撫ぜ撫ぜ(爪を立ててちょっと強め)しましょう。その愛くるしさに撃沈しちゃいますよ。牛ちゃんを可愛がるとインド人も“おー お前イイ奴やんけ”と喜びます。そこで彼等とお近づきにもなれます。

 インドの牛ちゃんは日本の牛と違い、何処か愛嬌があると思うのは自分だけでしょうか。愛すべき牛ちゃんのお話でした。

5、チョー厚かましいインド人たち

 インドに行ってまず驚くのは人の多さです。どんな田舎でも涼しい夜ともなれば人で溢れています。街頭の無いほぼ闇とも言える道に、真っ黒いインド人たちがひしめき合っているは実に不気味です。慣れないと恐怖を感じる人もいるでしょう。

 観光客が行かないような地方の路地裏など歩こうものなら大変です(そんな物好きな奴はあまりいないか)。あっと言う間に20〜30人のインド人たちに取り囲まれ、腕や服ををつかまれて半軟禁状態にされちゃいます。思わずヘルプミー!って叫びたくなるところですが心配無用です。彼等は突然やってきた真っ白な(彼等に比べ)珍しい異邦人に興味津々なのです。と言いますか、お近づきになりたい欲望むき出しで大興奮状態のお祭り騒ぎなのです。決して乱暴されるとか、物を盗られて身包み剥がされるとかではありません。

インド商人


 その中に英語をしゃべられる人が私に質問をし、それを現地の言葉で集まった民衆に話すのです。つまり通訳するわけですが、「どこから来た?」「日本です」すると、「お〜いこいつは日本人だってよ〜」「おー日本人だ〜」「日本人だ〜」と一言一言に馬鹿騒ぎ。初めてみる外国人なのでしょうか、もううれしくてしょうがないって感じなのです。よく言えばめっちゃフレンドリー。悪く言えば相手のことなど構わずに、自分の知りたいことを聴きまくり、プライバシー侵しまくりなのです。でもモミクチャにされながらも、そのチョー厚かましいインド人たちと交じり合うことが快感なのです。かなりのドMなのでしょうね、私って。

6、お乞食様

 乞食って日本にも昔はいましたが今は見ませんよね。若い人は知らないでしょう。インドには至る所にいます。その乞食が威張ってます。おめぐみを〜なんてしおらしさはありません。

 富める者が貧しい者に施すのは当たり前、と言う考えがインドにはあります。それに乞食は立派な職業?なのです。“施しをしないほうが悪い”とでも言うように“お金を出しなさい”と寄ってきます。渡した額が少ないと文句を言われます。大威張りなのです。お乞食様なのです、ひかえおろー!

 お乞食様は態度がデカイだけでなくたちが悪い。その中で特に悪いのが子供のお乞食様です。2〜3人に囲まれて進路を阻まれ、ほとんどカツアゲ状態です。当初気の弱い私など「これで勘弁してくださいウッウッウ〜」と涙ながらに素直に差し出していました。だって怖いんだもん。

 それに何たってしつこい。追っ払っても追っ払っても付いてきます。振り払えば脚にしがみ付きます。一度ためしにどこまで続くかそのまま引きずってみると、300メートルほどひきずってこちらが先に根を上げました。参った!私めの負けですぢゃー。見上げた根性ですなー。このお子はプロのお乞食様なのねー。
しかし一人にあげると、そこにいる全員にあげるようになるので、恐怖を乗り越えてなるべく無視します、修行です。

 

お乞食様

 子供のお乞食様の場合は無視できますが、今にも死にそうなお爺ちゃんが、ぼろぼろのきっちゃない格好で、杖を頼りに足を引きずりながら物乞いしてると、さすがに1ルピア(2.5円)渡したりします。またすっかりやせ細った乳飲み子を抱えたお母さんが必死に「何か食べ物を!」とか言われると どうしても1ルピア渡します。しかしだんだん旅慣れてくると渡さずとも平気でいられるようになります。「2.5円ぐらいあげろよ!」って皆さんの声が聞こえてきますが、しみったれと思わないで下さい。やはりお金を簡単に手に入れてはいけないのです。渡すべきか無視するかは、その人を見て判断できるようになります。
基準ですか?特にありませんが、しいて言えば魂の奥から湧き上がる声にならない声を聴いて判断します。

 渡せば丸く収まりますが、金持ち日本人が(現地では皆そう思っています)渡さないと向こうも引っ込みが付きません。そんなとき私はお乞食様に合掌してお断りします、同じ人間ですから。それに合掌されるとあのしつこいお乞食様もあきらめてくれるのです。ふ〜。

7、はまる?嫌う?あなたはどっち?

 インドへ行った人は2つに別れるといいます。一つはインドが気に入ってはまってしまう人。もう一つはもう2度と行きたくないという人。私は前者のほうですが、後者の方も結構いらっしゃるようです。今回帰りの空港でそんな人に会いました。話を聞くとこんな感じです。

 彼等は岐阜から来たという親子連れで、人から聞いたり、TVや雑誌でインドを見て、いつか一度行ってみたいと思っていたそうで、ツアーのパッケージ旅行ではない、個人旅行を選んだというかなり旅慣れた方でした。5日間の日程で、デリー〜アグラー〜ジャイプルのインドゴールデントライアングルを足早に回ったそうです。個人旅行といってもガイドのフルサポート付きのお気軽な旅でした。

 上げ膳据え膳の大名旅行でさぞかし良いご旅行でしたね?と聴けば、彼等は「もう2度と来たくない!」を連発していました。理由は汚い,臭い,不潔,ハエだらけ,暑い,不便,カレーが合わない,体調を崩した,インド人がうざい,牛がうろついている・・・・などなどやり場のない怒りを私にぶつけてきました。私が悪いわけでは・・・(-_-#)。
4回目と言う私に「信じられない!」と、まるで私を親の仇か汚い物を見るかのように言ってきます。こりゃ最悪のパターンだと思いました。

 きれいで過剰なまでに清潔志向の日本から、そのままの意識でインドへ来たらそりゃぁバッチイと感じちゃうでしょう。24時間営業のコンビニがいたるところにある日本と比べたら当然不便を感じるでしょう。インドの表面だけをサラッと見ただけでは、マイナスのイメージしか湧かないのかもしれません。日本とでは文化があまりにも違うのですから、その辺りを認識しないと不幸な結果に終わると思います。

 話しているうちに彼等はインドを見下していると感じました。日本は先進国でインドは発展途上国なんだと。その様な奢り高ぶった気持ちではインドの心に触れることはできません。その奥深い心に触れるのがインドを旅する魅力なのに、それでは何のためにインドに来たのか解りません。言葉で表すことは難しいですが、インドの持つ精神性の高さ、信仰心の厚さ、全てをありのまま受け入れる懐のふかさなどなど、今の日本人に足りないものがインドにはたくさんあるのです。これらの観点からすれば、インドは先進国であり日本は後進国だと思います。

ストゥーパ


 確かに彼等の言うことは事実でして、不愉快なことも、つらいことも、苦しいこともインドにはてんこ盛りです。爆発しそうになることも多々ありますが、そこでいかに平静でいられるかが大事なのです。考え方を変えるとインドもそれほどつらくはありません。心の持ち方一つで怒りやイライラは治まります。もともと心には怒りはないのです、自分で作るから怒りが生じるわけです。ここら辺が修行といってもよいかと思います。別にインドまで行かずとも日本の日常でできる事ですが、今ある自分の環境はぬるま湯なので、旅行かたがた定期的にインドへ来るのです。そしてディープにまったりインドの心に包まれるのです。つらいけど幸せ〜。やはりドMな私でした。

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8、天国と地獄、あなたはどっち?

 初めてインドへ行ったのは今から18年前でした。とにかく驚きました。カルチャーショックなどと言う生易しさではありません。その汚さや臭さはもちろんですが、道路で普通に寝起きしている人、ゴミ置き場で生活している家族、スラム街、街中での行水、人のあふれる繁華街でおしっこをするおばさん、めちゃくちゃな交通事情・・・・。あげればキリがありません。こんな所でも人間は生きていけるのだろか?ここは地獄なのか?たじろぎっぱなし、ビビリまくりでした。

 しかしその一方で信じられないぐらいリッチな場所,人々がいます。何十年もかけて作ったお墓や、湖の真ん中の贅沢なホテル・・・。お抱えの運転手やメイドさんなどもろもろの世話や仕事をしてくれるお手伝いさんが、生まれたときから当たり前のようにいる人たち。日本のセレブなど問題にならないほどのお金持ちさんです。

 この地獄の生活か天国の生活になるかは、生まれた場所で決まってしまうのです。そこに生まれたらその親の仕事を受け継いでやらなければならないのです。カースト制度というシステムが職業選択の自由を取り上げています。努力して起業してリッチになるのは非常に困難なようです。この制度をずいぶんと理不尽だと思いましたが、この制度で救われる人たちもいるのだと聴かされ、そんなものかぁと受け入れはしました。しかし炎天下の元でリサイクルゴミを拾って歩くぼろぼろの人を、寒いぐらいに冷房の効いた高級レストランで舌鼓を打ちつつ眺めていると、同じ人間なのに、生まれが違うだけの差でこんなに違ってよいのか?不公平ではないのか?神様はいないのか?何か誤ってはいないのかなぁと感じました。
 

テント村

 初めてのインドで自分なりに考え、天国と地獄は別々の所にあるのではなく、同じ一つの場所にあるのだと知りました。インドは見えない何かを教えてくれる教師でもあります。それがきっかけでその方面について考えるようになり、現在は、天国も地獄も死んでから行くところではなく、今生きているこの世にもあって、常に自分たちは天国〜地獄のどこかにいるのだと考えるのです。どの辺にいるのかは心の持ちようで決まり、本人の霊性で決まるのです。あなたがいるのは天国ですか?それとも・・・・。

 “自分は地獄にいるのだ”と気が付く人はいないようです・・・・残念!

9、霊性の向上

 インドを歩いていると日本ではありえない様々なものを見たり、日本ではできない多くの貴重な体験を積むことができます。その様なことに繰り返し遭遇すると、今まで考えたこともない疑問が湧き、哲学的思考に走ることがあります。例えば生きるとは?人生とは?愛とは?お金とは?自分はどこへ行けばよいのか?などなど悩んでも考え抜いても答えの見つからないようなことが浮かんできます。一人で禅宗の公案をやるようなものです。

 移動中はインド人の好奇心の的になるので、次から次へと入れ替わり立ち代り彼等の質問攻めで終わるのですが、目的地について独りになると、日がな一日そんなことをずーっと考え続け悩み続けます。延々続けても解答は得られず疲れ果て、何時しか自分の小さな心では解るわけがないとあきらめます。それが無意味で無駄な努力と知った時に、目に見えない何か抗し難い大きな流れ,圧力のようなものを感じるのです。そしてそんなことで悩むよりも“この流れに全部任せてしまえば良いのだ”と了解すると、今までの悩みがストンと消えてラクになるのです。

 この“大いなる流れ”を体験すると、何が大事なのかが自然と解るようになります。物の見方,価値観に変化が起こります。それまで一大事と思われていたことが、些細なことに感じられ、パニくったりへこんだりブチ切れたりしなくなります。心が安定して常に平静を保てるようになります。自分に自信が付きます。人に優しくなれます。霊性が向上するとこのようなことが起きます。しかし霊性の高まったことに本人は気付きません。ずっと後になってからそれを知るのです。

チベット寺院


 このようにインドを旅すると霊性が向上します(全員とは言いません)。霊性が高まると気分が良いのです。つらいこともあるけど心地好いし愉快だし快感なのです。だから修行は楽しいのです、止められないのです。皆さんも一度“インドに没して”みてはいかがですか?霊性が高まるかもしれませんよ。

10、聖地の霊性

 今回は南インドを中心に回ってきたわけですが、聖地に来る巡礼者との触れ合いを楽しみにしていました。
 “この聖地に来られたら死んでも本望”というような巡礼者も多く、その信仰心の篤さは見るものに感動を与えます。特に沐浴シーンの美しさは、一つの芸術と言っても過言ではありません。乾ききったインドでは水は大変尊いものですし、信仰的にも火(カ)と水(ミ)は穢れや障りを祓う力がありますので、その巡礼者と水のコラボレーション(とは言わないか)の沐浴は最大で最高のショータイム(だからそんなふうには言うなっつーの!)なのです。

 そんな純真で高潔な巡礼者を受け入れる聖地の霊性はとても高く、そこにいるだけで心が安定して気持ちが良くなります。単なる川だったり山だったり岩だったりするのですが、なぜか霊性が高いのです。ところが中にはえぇーここが聖地?と思うほど低いところもあります。人が多く集まり有名であっても気分が悪くなるところはあるのです。

 特に寺院の中にはとんでもなく低いところがあり、そんなところの神様仏様を拝んだら逆に本人の霊性が下げられてしまうこともあります。霊性が普通の一般の人ならさほど問題はありませんが、少し勉強して高まった人ならショックを起こして体調を崩すでしょう。救済してくれる師匠がいない場合、その苦しみはしばらく残るものです。

 

オートリキシャーとヒンドゥー寺院

 全ての神殿寺院が素晴らしいわけではありません。今回マドライの街中のとある大きな寺院へ行ったとき、あまりの低さにドヒャー!と思って一瞬たじろぎました。が、どうしても巨大なドラヴィダ建築様式のゴープラム(門塔)を撮りたくて中に入りました。朝日が出て光線が良い感じになるまで粘ったのがいけませんでした、出るときにはもうふらふらでした。加えて霊性の低い神様が「仲良くしーよう!」って次々やってくるので困りました。さすがインド!神様もめっちゃフレンドリーでしつこい!こんなに大きくて立派でここまで低いのは日本の○○寺のよう、えっ?何処かって?それは内緒です。ちなみにラーメシュワラムの街や寺院はとても優しい霊性に包まれていました。行って損はありません。ぜひそこでのんびりしてください。

 どこの神社,お寺へ行っても同じと思っていたら大間違いです、しっかり選びましょう。その前に自分の霊性を高めましょうね。「そういうお前がもっと高めろよ!」って、はい、あなたのおっしゃるとおりでございます。まだ修行中ですのでお許しを m(_ _)m 。

11、幸せって?

 インドへ行った友達が、「インドは最悪、日本に生まれてよかった。絶対日本のほうが幸せだよ」と言っていました。ちょっと待ってください。本当に日本のほうが幸せなのでしょうか?前にも記しましたが、インドの精神性の高さ、懐の深さは日本の比ではありません。それに日常生活が不便であったり苦しかったりするところに、人間性や霊性を高めるチャンスがあるわけです。

 今や日本は経済大国になり、生活はどんどん便利で豊か、快適になってきました。物質的に恵まれ贅沢が当たり前になり、日常生活から苦労が無くなりつつあります。昔は皆が工夫してお互いが助け合って生きてきました。苦しくても精神的には満ち足りていました。今は物質的には豊かになりましたが、精神的には貧しくなってしまいました。なぜでしょう?

 理由は多岐にわたりますがいくつか挙げますと、不便さを厭いラクばかりしているとどんどん怠惰になります。面倒くさいと努力を怠ると心の許容量が小さくなります。自分のことしか考えないようになり、他人に対する思いやりが減っていきます。自分の欲望を優先するようになりますと、人格が欠落してきます。そこに霊性の向上は有り得ません。
 帰国時の成田空港で入国手続きする日本人の長蛇の列がありました。多くの人はじっと待っていましたが、列に横入りをする年配者や並んでいる順番を無視する若者を見て悲しくなりました。日本人の霊性は今後ますます下がっていくでしょう。

 ほとんどの人は地位や名誉,経済力を高めることに翻弄されています、それ自体が悪いとは言いません。低いよりも高いほうが宜しいでしょう。しかしどんなにそれを高めたところで大した意味を持ちません。もっと他にしなければならないことがあります。それは人間性を磨き、少しでも霊性を高めることです。そのために労苦を惜しんではいけません。怒りや不満,不安を抑えて心を安定させ、自分を知り、相手を受け入れることが肝要です。

 限りなく霊性を高め極めることが本当の幸せにつながるのです。

カトマンドゥーの少女

 
インドの子供たちの目はとても生き生きしています。老人を見ると実に穏やかでイイ顔をしています。こちらまで優しくなれるのです。ふとそんな時、日本人よりインド人のほうが幸せだなぁと思います。心が満ち足りてきてありがたいありがたいと思います。

 本当の優しさって何でしょう?一度インドへ行ってみてください。

 本当の幸せって何でしょう?一度日本人なら考えてみてください。

心優しいおじいさん

 あなたの幸せは一時のものでなく未来永劫まで続くものでしょうか?輪廻を超越して有り得るものでしょうか?

 ゆったりと流れる時間に身を任せながら一ヶ月間、ぶらぶら歩きつらつら考えてきました。インドの貧しさの中にある豊かな心、これこそ“泥中の蓮華花”と尊敬して已まない院長でした。                    
                                          合掌

 これで終了します。最後までお付き合いいただきありがとうございました。今写真を整理しています。漸次UPする予定です。

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