霊格〜ブッディーランク


ブッディーランク
リストマーク始めに
 ブッディーランクはアルファベット『B』で表し、
10万から100万未満の悟性のレベルです。

 このランクへ至るには、
しかるべき師に付いて格式のある行を積まなければなりません
。様々な欲望,煩悩を捨て果てて無辺なる慈悲心を持って到達できるレベルです。

 一般的に『悟りを得る』とか『大悟』と言われるものは、
このブッディーランクに至ることを示します。

リストマーク大悟
 行によって或いは日々日常において、
私達はいろいろなことを感じ,気が付き識見を広めます。
いわゆる“気付き”を得るわけですが、“気付き”によって新たなる段階,ステージへ上がることができます。

 それを『悟り』(霊性の成長)と言います。
その小さな悟り(小悟)を根気よく積み重ねることで、
霊格がエーテルランクからアストラルランクへ、
そしてメンタルランクへと上がり、
多くの小悟の果てにブッディーランクに至って『大悟』を得るのです。

                                                   
リストマーク障壁〜“彼等”
 この領域に至るには様々な障壁があります。

 前にも記しましたが、求道を志し、行を始め霊格が次第に高くなると、
求道者を惑わそうとする(或いはその力もないのに指導しようとする)
おぞましいアストラ ル界の住人が接触してきます。

 “彼等”は驚くほど巧妙に、
そしてあきれるほど手際よく『求道者が渇望するもの』提示します


 “彼等”にとって求道者を誘惑することなど、
赤子の手をひねるようなもので、
その手練手管の前に求道者は何の太刀打ちもできぬまま
“彼等”の手に落ちてしまいます。

 そうなると“彼等”の支配の下、低レベルな霊性に侵され、
『大悟』への道は断たれてしまうのです。

リストマーク障壁〜クンダリニーその1
 もう一つの障壁としてクンダリニーの覚醒(目覚めると言う意味で)があります。

 行や精神的修養を始めるとクンダリニーが目覚めて動きだします。
その活動は軽いものと、重いものに分けられます。
前者を生理的クンダリニーと呼び、後者を修行的クンダリニーと呼びます。

 生理的クンダリニーは、そのエネルギーの働きはまだ弱く、
どちらかと言えば症状は軽いものの、自律神経の失調や精神的衰弱を起こします。
次第に現実感が薄くなり、非日常的な意識が主体となって、
本人の妄想や意識の助長が作り出す 虚構の世界に迷い込み、
誤った道に進んでしまいます


 修行的クンダリニーは、そのエネルギーの働きは強く、
心身を正常に保つことさえもできず、譬えようのない様々な苦痛に襲われます。
それらを総称してクンダリニー症候群と呼びます。悪ければ発狂,
自殺、軽くても難病人として余生を過ごすことになり、
修行どころかまともな生活もできなくなります。
その地獄のような苦しみは経験した者にしか解らないことです。

 上記ようにクンダリニーが目覚め始めると、
様々な形で行の続行が不可能になります。

 クンダリニーを目覚めさせることを目的に行をすることは愚かなことです
霊性の成長に伴ってクンダリニーは自然と目覚めるのです。
その順序と目的を誤ってはなりません。
ヨーガスートラの中でもクンダリニーは導師について習えと警告しています。
その怖さを知っているからです。

 このクンダリニーの目覚めには決して高い霊格は必要ありません。
アストラルランクの人でも活動し始めます。
それだけに行半ばの求道者に降りかかる惨事と言えます。独習は危険です。

 そのクンダリニーが何の制約もなく働くようになるには、
各々の想念の浄化が進んで、霊格がブッディーランクにあることが必要です。

リストマーク障壁〜クンダリニーその2 
 またこのクンダリニーのエネルギーが目覚めるとチャクラが活性化
(弱体化も起こります)し、幻聴や幻覚,様々な超越的感覚を体験します。

 その感覚を悟りの世界と勘違いし、
敬虔な姿勢が一変して自分を開悟した聖人と思い込む人がいます。
その慢心さから自分を神と同じ存在だと考える者まで出て来ます。
某宗教の教祖や、某ヒーリングの創始者のように。

 そのような思い上がりを、“彼等”が見逃すわけはありません。
静かに徐に忍び寄り、エセ聖人の望むとおりの神通力を与えれくれます、
まるで当人の力で得たかのように。意識さえも変革されてしまいますので、
身勝手で反社会的なドグマを持つ教祖が誕生します。

 もちろん『大悟』へ至ることなどはありません。
もし自らの能力で神通力を得てもそれで満足して行を怠っては、
やはり『大悟』への道を失います。

 人々を惑わし狂わせる神通力とはどのようなものなのか?
次に説明しましょう。
リストマーク六神通                                         
 その神通力に関して仏教では6つの種類を上げています。
1、天眼通(てんげんづう)・・・透視・霊視
2、天耳通(てんにづう) ・・・霊聴・霊言
3、他心通(たしんづう) ・・・読心術
4、宿命通(しゅくめいづう)・・・過去現在未来を見通す能力・予知能力
5、神足通(しんそくづう)・・・幽体離脱・テレポーテーション
6、漏尽通(ろじんづう)・・・煩悩を滅し尽くし、
仏の悟りを得て平常心のまま真理を知ること。


 それぞれ普通では考えられないような能力なので、
あまたの人々があこがれるのも解らないわけではありませんが、
これらを求めようとすれば“彼等”の思うツボです。

 そしてこの1から5までの神通力は外道,
二乗の輩でも可能だと言われます。
つまりエーテルランクの者でもできると言うのです。

 ですからどんな超能力を見せられても驚くことはありませんし、
どんな超能力を身に付けてもそれに踊らされてはいけないのです。
スプーン曲げや念写,空中浮揚を尊ぶことは愚かなことであり、
ましてそれらを求めることは霊性の進化に逆行することになります。

 神通力は、求めずとも行が進めば自然と備わるようになっています。
そのような能力を求めることは、それ自体が低俗な欲であり煩悩につながります。

 しかしながら六番目の漏尽通だけは『大悟』なくしては不可能なのです。
全ての想念の浄化が完了し、煩悩を捨て果てた先にあるものです。
五神通を得たとしてもそれで満足しては漏尽通には至りません。

 驕ることなく真摯に行を進め、
ブッディーランクに至り漏尽通を得ると真理が見えます。
そのものの偽らざる真実の姿が解ります。それを妙智と言う人もいれば、直感知と言う人もいます。

                                                              
リストマーク物差し
 自分のことは自分が一番良く知っていると考えがちです。
しかし自分のことを一番解っていないのもまた自分なのです。
正しく自分と言うものを見られないからです。真理が見えると、
自分の本当の姿が解るようになり
ありのままの自分を愛し慈しめるようになります。
すると生,死そして命が見えてきます。

 “いのち”を見つめていると、
やがてこの自然界に存在する法則やその摂理が解るようになります。
それは老若男女,年齢,人種,民族,国家,宗教などを超越した、
すべてのものを理解するためのスタンダードな“物差し”を得ることができるからです。

 その“物差し”で量ることで、
この世の中の或いは次元を超えた世界を把持することができます。
そしてその先にある神や仏の『御心』に通じることができるのです。

 卑近な例を挙げれば、物や人を見たときに、外側から見ていながら、
まるでそのものになりきって自らを見るような感覚がします。
外見や諸々の事象に左右されることなく、
その物(者)の真意がこちら側に流れ込むように伝わってくるのです。

 だからどんなにうまいことを言ってもそれが嘘なら直ぐに嘘と解ります。
どんなに善人面していても心の汚れているのがしっかり見えます。
自然と相手の考え,気持ちや霊性が心に伝わってくるのです

 何が正しいのか何が誤っているのかが解るようになります。
すると迷いが消えます。迷いが消えると恐れがなくなります。
恐れがなくなると心が穏やかになります。
穏やかになると人やあらゆることに優しくなれます。本当の優しさがわかります。

 本当の優しさとは、その人や諸々の霊性が高まるようにしてあげることです。
甘やかすことだけが優しさではありません。時に厳しく突き放すこともありますし、
あえてその苦しみを玩味させることもあります。

 獅子が我が子を千尋の谷に突き落とす例えのように。
そのような一見冷酷とも思える態度を取れるのも、
“真実の愛”を知っているからであり、
“神仏からの愛”
を一身に受けているからです。
                                      

リストマーク神理観照
 我々が行なっている『神理観照(しんりかんしょう)』は
先に説明しました漏尽通でありまして、神仏の心に触れるものです。

 『神理観照』とは平常心のままで神仏に問いかけ、
その答え(神意)を伺い知ること(有伺三昧)で、古より伝えられる神道の技です。

 伺う対象が格式の高い神仏でなければなりません。
低級な(時にエーテルランクの)“彼等”が神仏に成りすまして惑わそうとします
それを見極めなければならず、
ブッディーランクの悟性がないと判断できないのです。
その悟性を持って神仏に伺い、無明にあえぐ人々に救いの手を差し伸べます。

 時に病や苦しみを癒やし、時に生きる指針を示します。
それは個人的な意見ではなく、神の仏の御心のままにです。

リストマーク魔境
 ブッディーランクに至っても常に謙虚に、慎み深く歩まねばなりません。
如何なるときでも欲望という誘惑の落とし穴が待っています。

 わずかでも隙を見せると魔境に引きずり込まれ、
今までの努力が水泡に帰します。私の修行仲間で、
ブッディーランクまで進みながら、
自らの迷いのためにエーテルランクまで堕した者を何人か見ています。

 上がるには時間がかかりますが、堕ちるときは一瞬です


 漏尽通を得て『神理観照』を体得しても、それが安定し、
自分の手足のごとく使えるようになるまでは、
なお一層の精進が肝要なのです。
そしてその先にはさらに素晴らしい世界がまだまだあるのです。

 『もうこれで良い』などと思い上がることなかれ、行に終わりはないのです。

ブッディーランクの例                                                  
大悟  有伺三昧  直感知,妙智  漏尽通  至福の喜び  
自己実現  無執着  神理観照  ク
ンダリニーの成就  チャネリングシャクティー  射精のコントロ−ル 
 格式のある神社仏閣,宗教団体

 次は『アートマー,ブラフマーランク』です。

アートマー,ブラフマーランク